2011年 03月 16日
メタボリズム再考について
こちらに来て意外に思った事の一つにメタボリズムの知名度の高さがある。
前期のHani Rashidスタジオでは、参考資料として東京計画1960を筆頭に、黒川紀章のヘリックスシティなどメタボリズムの一連の計画がアーキグラムと並んで取り上げられ、今回のJesse Reiserスタジオではリサーチ対象としてのみならず、Irreducible Unit(中銀カプセルタワーで言うところのカプセルにあたる、都市、建築を構成してゆくうえでの最小モジュール)の設計がAssignmentとなっていて、またこっちでは皆タンゲ=モダニズムではなくてむしろメタボリストとして認識しているほど、メタボリズムは都市、建築を考える上で避けられない一つの大きなムーブメントの一つとして認知されている。さらに今年はレムがメタボリズムについてのリサーチをまとめた本が出版される予定だし(すでに完成してOMANYオフィスにも何冊か転がってるらしい)、日本でも夏に六本木ヒルズでメタボリズムの回顧展の開催が予定されるなど、メタボリズム再考の動きが俄かに活発化してきている。

個人的には日本にいた頃はあまりメタボリズムに興味はなかったし、こっちでメタボリズムが取り上げられるのも、どちらかと言えばエキゾチズムに根差しているのではないかと最初は思っていたのだが、今期のスタジオで遂にしっかりと向き合わないといけなくなってしまって、色々と「今なぜメタボリズムなのか」を考え、自分なりにまとめてみる事にした。


非常に乱暴な解釈かもしれないが、メタボリズムは個の空間から全体構成への発展の手法と定義できるだろう。ここで念頭にあるのは中銀カプセルタワー、ヘリックスシティ、海上都市などで、いずれもカプセルユニット(個の空間)がコアにプラグインされることで都市が形成されるというアイディアという具合に一般化できる。結局これは中銀カプセルタワー、静岡新聞社(?)、挙句の果てには心斎橋ソニービルのトイレ位しか実現せず、万博という打ち上げ花火が散るとともに脆くも忘れ去られてしまった。

ここからポストモダニズムが狂い咲きし、デコンが一瞬だけ流行り、と色々あるのは飛ばして、90年代の終わりくらいから今に至るまで続いているのが、せんだいメディアテーク、横浜大桟橋を筆頭とした「ネオ」ユニバーサルスペースと呼べる空間の台頭といえる。これはAymptoteのモノグラフのタイトルにもなっている「Flux」(流動性)のあるフラットな、インターネットの発達・普及に影響されてサイバースペースのアナロジーとして生まれた空間で、建築内の様々な機能が別け隔てることなく相対的な関係で共存しているような状態を目指している。ここでは一つの場(全体)が設定され、そこにムラを生じさせることで個の空間が形成される。メディアテークの場合は一枚のスラブが全体を定義し、そこに不定形なチューブがアトラクターとして挿入され、それによって家具の配置にムラが生じ、個の空間が形成されている。

しかしここで問題になるのが、個の空間の弱さである。場のムラによってなんとなくの個の領域を設定できるといっても結局それは全体に従属する形で成立しているため、「強い」個を担保できないのだ。メディアテークではシアター部分の処理にこの問題が露呈している。シアターという音響、照明の点で密閉される必要のある「強い」個の空間は、一枚のスラブに生じるムラによって成立させることが不可能なため、結局カベ(これは当然家具と呼べる要素ではない)を建てて閉鎖空間を作ることで解決を図っている。

たしかにこの流動的な空間の手法は、パブリックな空間を作るという点では優れている。しかし、一方でアナロジーの対象としてあったインターネットは個人が匿名で個を剥奪された存在として参加する場(2ちゃんねる)から、実名でそれぞれが個を主張する場(mixi, facebook, twitter)へと変わり、そういった「多様な強い個」を担保できないこの空間手法ではそもそものアナロジーすら成立しなくなりつつある。

そこで、メタボリズムの再登場である。先にも述べたように個から全体へと発展させるメタボリズムは、そういった「多様な強い個」を担保できる新たな手法を考える上で非常に有用であるのではないかというわけだ。つまりメタボリズムの個-全体、現在の全体-個の一方向の設計から、個と全体を絶え間なく行き来するような手法へのシフトである。
ここで注意しなければならないのは、決して「再興」ではなくて、「再考」であること。メタボリズム自体は確かに個から全体へのベクトルを持った手法ではあるが、個は単一のユニットに還元されていて、「多様な強い個」を担保できるものではないし、また個から発展させてゆくといっても結局のところその個は全体にプラグインされるという点でヒエラルキーが生じている点も指摘できるだろう。そのようなメタボリズムが解決できなかった問題を乗り越えたとき、多様性(多数のパラメーター)を内包しつつも自律性を持った(autonomusな)システムが構築できるのではないだろうか。
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by hirano-eureka | 2011-03-16 13:36 | 建築チクチク


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