2008年 09月 29日
多摩美図書館
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多摩美図書館です。伊東豊雄設計。
東京から1時間半、電車に揺られさらにバスに乗ってやっと辿り着くような所にあります。

いや、これはなかなか凄い建築ですよ。

反復するアーチであるとか、あと窓際にある滅茶苦茶長い読書机にずらーっと並ぶ椅子とライト、色々な要素が反復されて用いられているいるのにも関わらず、古典主義的な荘厳、ないしは重苦しい空間にはならず、あくまでも現代的で軽やかな優しい空間が出来ていたことは本当に新鮮でした。
これは湾曲するガラスと壁面を面一でおさめたりであるとか、視線が建築を通り抜けてゆくようにプランが隅に行くにしたがって曲線的にすぼんでゆくといった処理が細心の注意を払ってちりばめられているからこそ獲得できた空間なのでしょう。

豊雄さんはウチの大学の講評会に来た時によく「曲線一本一本にしっかりとした根拠がないといけない。建築家はその全てに責任を持たなければならない」と仰っていましたが、確かにこの建築ではひかれた曲線すべてがあるべき場所に納まっている印象がありました。

イマを捉えた軽やかさを持っていると同時に、アイコニックであるというのはなかなか出来る物ではありませんよね。

多分滅茶苦茶お金掛かってますけれど、少子化で学生確保に腐心する私立大学としては学校の「顔」を手に入れる事が出来た訳で、また建築家の方も思う存分色々出来た、なかなか「幸せ」な建築ではないでしょうか。
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・・・ただね、これでいいのかという疑問が自分の中でどうも残っています。
たしかにここには新しい空間が展開されていました。

新たな空間の創出に手詰まり感がある現代において、最近の豊雄さんの新しい建築へ向かう原動力であるアルゴリズムによる設計手法が、手垢にまみれていない、ピュアで新鮮な空間を生成していることには本当にわくわくしています。台湾のオペラハウスなんか凄まじいじゃないですか。

でもこの図書館は果たして「図書館」なのか。
新建築の月評で新居千秋がカーンを引き合いに出してアルゴリズムによる設計手法に対して疑問を表明していましたが、確かに春にアメリカ旅行で行ったカーンのエクセター図書館にはこの建築が図書館たる所以、というかある種の「超越性」がありました。

その「超越性」がこの図書館では希薄な気がするのです。

ここで、機能と形態が乖離していることが悪い事かと言われるとそうは思えないんですよね。
新しいものは旧来の物と違ってくるのは当然ですし、
え、これが図書館!?
といった驚きがない限りいつまでも同じ場所にとどまっていると言う事になる訳ですから。

なにか、そういった話ではない、別の次元で考えてゆかないといけないように思うのです。

あるものがそのものであるための超越性とは何なのだろうか、ということを。
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by hirano-eureka | 2008-09-29 00:54 | 建築チクチク


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